【本】中米産のカカオから生まれたチョコレート 産業革命と貧困問題について

教養

こんにちは。ダチョウです!

 読書メモです。

 今回の書籍は、『チョコレートの世界史 近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』(武田尚子著、中公新書、2010)です。

 人びとを魅了し続けるチョコレート。バレンタインのシーズンには、商戦合戦にも。この魔法の食べ物の原材料であるカカオは、もともと中米(現在のメキシコ)を原産地としています。カカオは、古代中南米人の間で、飲み物や薬として服用されていました。食品としてだけではなく、貨幣としての価値や儀式の際のお供え物としての用途もありました。

 そんなカカオがヨーロッパ人に発見されるのは、15世紀以降のこと。スペインが新大陸を発見し、植民地政策を進めていった時です。カカオを、どうやら価値があるものだとみなしたスペイン人は、その珍しい木の実をヨーロッパ大陸へ持ち帰ります。現在、私たちが口にしているチョコレートは、カカオを改良してつくられています。もちろん当時のヨーロッパ社会には、その改良技術がありません。そのため、カカオは長らくただの珍奇なものに過ぎませんでした。

 月日は流れ、ヨーロッパの勢力図が、スペイン・ポルトガルから、オランダ、イギリスへと変遷していきます。18世紀に起きた世界史上の重大な出来事といえば、イギリス産業革命。テクノロジーの進歩によって、ようやく珍奇なカカオが、褐色の宝石へと生まれ変わるのです。

 当時のイギリスは、世界中に多くの植民地を持ち、そこから自国では手に入らない原材料を入手していました。カカオもそのうちの1つです。その他の輸入物には、茶、砂糖、コーヒーなどがあげられます。穀物法が廃止された後の19世紀中頃になると、産業資本家はメキメキと頭角を現していき、原材料の輸入量と加工品の生産量を増やしていきます。それに伴い、イギリス人の間で消費文化が根付いていきます。甘いものへの需要も増加し、しだいにチョコレート工場は増えていきます。

 ちなみに、チョコレートの製造、および生産に尽力したのは、クエーカー教徒たちです。プロテスタントであるクエーカー教徒は、理性と良心に価値をおき、ひたすらチョコレートの生産に励みます。また、宗派のネットワークによって、ブリストル、バーミンガム、ヨークへと生産地が広がり、イギリス国内にチョコレート工場が普及していきます。

 さて、ここで覚えておきたい人物が、シーボーム・ラウントリー(Seebohm Rowntree)です。彼は、1871年、イングランドのヨークに生まれました。両親は、チョコレートの製造業を営んでいたクエーカー教徒でした。彼は、大学を卒業した後、家業を継ぐためにラウントリー社へ入ります。産業革命後のイギリスといえば、劣悪な労働環境と貧困層の増大が社会問題化していました。というのも、大量生産をもとめた産業資本家たちが、労働者を低賃金で搾取していたことによります。

 シーボームは、この社会問題に目をつけます。1899年に、ヨーク市内の貧困層の実態について調べ上げます。かの有名な「ヨーク調査」です。その結果、彼は、貧困は低賃金によってもたらされるとの結論に至ります。貧困をなくすべく、賃上げ、および8時間労働制、そして年金制度や子ども手当の土台を築き、企業内の福祉の充実に努めます。

 ちなみに、シーボームは、キットカットの生みの親でもあります。ヨークにあるロウントリー社の工場は、現在ネスレの工場になっています。

 ここまでは、20世紀前半の物語で、その後もチョコレートの物語(悲惨な)は続くのですが、本稿はここまでにします。

 次、チョコレートを口にする時は、古代中南米やラウントリーの物語に思いを馳せてみてください。

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