【生活】狩猟的、もしくは農耕的な生き方について

【本】

 こんにちは、ダチョウです!
 今回は、狩猟的、農耕的なあれこれについてつづります。

 各地域を転々としたり、複数の共同体に所属したりしていると、しばしば狩猟民族的な生き方だとか、農耕民族的な生き方だとかを考えることがあります。

 狩猟的とは、獲物を追い続けなければ、明日の命はないというようなスタイルのことです。この様式では、日々刹那的に変化する環境と睨み合い、瞬間的に生まれては、次の瞬間には消えてしまうような好機をうまくつかみ出す必要があります。漁師をイメージしてみてください。漁師は、天候、波風、潮流といった諸条件と格闘し、海から魚を収穫しなければなりません。

 一方、農耕的とは、一定の場所に定住していても、安定的な経済基盤から、明日の命が保障されているようなスタイルのことです。ここでは、農業をイメージしてみてください。一定のノウハウはいるものの、一度稲や麦を植えれば、作物は自然に伸びてきます。収穫物の余剰分は、備蓄に回せるため、この様式に携わる人は、自由な時間を手にすることができます。そこで、生産様式とは異なる新たな能力が求められてきます。例えば、人間関係の事務、定住している地域の法整備や文化形成などです。また、社会の諸階層への会釈などもです。ちょうど出世した上司に電話で祝辞を一報入れる部下のように。

 古代より日本は、狩猟的な生産様式を基調におく文化圏でした。そこへ、水田耕作をする文化がユーラシア大陸からもたらされ、ニつの文化は離合集散を繰り返してきました。この異質な文化の存在が、日本文化という世界史的に見て、一種の普遍性をもった文化を形成してきました。

 江戸期には、「浦方」と「在方」という言葉があります。前者は、漁村社会を指します。後者は、農村社会を指します。「在方」は、時に「浦方」をさげすむ傾向がありました。農民は、安定的に米を収穫することができます。一方、漁師の漁獲高は安定的ではありません。そのため、漁師たちは生きていくために、しばしば食料を農村社会に分けてもらう必要がありました。両者の間で、次第に上下関係が形成されていき、安定的な経済基盤をもつ農村社会が支配的になっていきました。

 「羽織を着た人」という言葉があります。漁村と農村の利害関係を調整してくれる役人のことを指します。この重要人物は、「在方」から輩出されました。現在においても、漁業に携わる者と農業に携わる者の間には、意識のどこかに、この歴史的な関係性が根強くのこっている地方があります。

 このような関係性は、漁業や農業といった原始的な生産様式だけではなく、現代における大きな組織と小さな組織に当てはめることができるのではないでしょうか。いわゆる大企業は、市場を独占的に支配しており、一定の消費者から安定的な収益を得ています。公的機関は、法に基づいた税制度により安定的な収入が得られます。一方、中小企業は、世の中の動きを常に観察し、瞬間的に機会をつかみ取っていかなければ、収益を確保することはできないという立場にあります。時には大組織の顔色を伺わなければならないこともあります。しかしながら、このニつの関係性が社会を成り立たせていることは言うまでもありません。 

 普遍性の高い文化や生産性の高い経済システムの形成には、多種多様な要素、原始的な例えをするならば、狩猟的な、そして農耕的な様式などが、社会に混在していた方がいいということです。ちょうど、この極東に浮かぶ小さな島国が、漁村社会と農村社会を混在させることで独自の文化を形成してきたように。

 世界を見渡してみてください。古代より農業一種類の生産様式しか持つことができなかった地域を見れば、異質性をもつ重要性が見えてくるのではないでしょうか。

 しかしながら人間は、生まれる場所を自ら選ぶことができません。多種多様な文化圏に生まれなければ、その範囲内で個人の能力が規定されてしまいます。また、いくら固有の文化を有する日本文化圏にいるからといっても、特定の社会に固執するならば、個人の能力は、その範囲内に規定されてしまいます。

 一風変わった個の形成を目指すには、自身の中に異質な風習や生産様式など多種多様な要素を取り入れることが大切なのです。つまり、狩猟的、農耕的に生きることなのです。

 「浦方」、「在方」の箇所などは、司馬遼太郎『菜の花の沖』を参考にしました。おもしろいので、ぜひご一読くださいね♪

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