【映画】『奇跡がくれた数式』(2015) 数学者ラマヌジャンの生涯とは?インドが生んだ天才

【映画】

こんにちは。ダチョウです!

今回は、タイトルの映画についてです。

子<br>ダチョウ

ダチョウ

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本作のみどころ

・インドの貧しい階級で育ったラマヌジャンは数学の大天才。
・ケンブリッジの数学者ハーディはラマヌジャンから影響を受ける。
・ラマヌジャンの公式は現代社会にも生かされ続けている。

作品情報

 本作は、マシュー・ブラウンによるものです。彼は、1984年米国カリフォルニア州に生まれました。ロバート・カニーゲル『無限の天才 夭折の数学者ラマヌジャン』(1991)を原作としています。

あらすじ

 物語の舞台は、20世紀前半イギリスのケンブリッジ大学。主人公は、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン。彼は、南インドの貧困家庭に生まれた。港湾事務所で経理の仕事をする傍ら、数学の研究に勤しむ。周囲に勧められ、イギリスの大学に自身の研究内容を記した手紙を送る。それに目を付けたのが、ケンブリッジ大学の数学者ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ。彼は、ラマヌジャンをケンブリッジへ招聘する。ラマヌジャンは、無学なインド人ということで差別扱いを受けるが、ハーディの協力のもと、研究成果が学会に認められる。ラマヌジャンは、王立協会の一員となるが、その後間もなくして結核によりこの世を去ってしまう。

天才ラマヌジャンの生涯とは?

 ラマヌジャンは、1887年に南インドのタミル・ナードゥ州に生まれました。家庭は、非常に貧しいバラモン階級でした。ハーディに数学の才能を買われたラマヌジャンは、妻ジャーナキをインドに残してイギリスへと旅立ちます。イギリスでの生活は決して楽しいものではありませんでした。ケンブリッジの数学者たちは、無学なラマヌジャンに対して厳しく当たります。ハーディも始めのうちは、公式の証明にこだわるあまり、彼の内面と向き合おうとしませんでした。また彼は、食文化の違いに戸惑い(菜食主義者)、しばしば人種差別を受けました。体調を崩した彼は、結核を煩ってしまいます。しかし、ハーディの努力のかいがあって、ついに分割数の証明が認められます。その後、インドへ帰国しますが、旅路において病状が悪化してしまいます。故郷で妻と1年間ともに暮らした後、この世を去ります。 

数学者ハーディとは?

 ハーディは、1877年にイギリスに生まれました。ケンブリッジ大学で学び、オックスフォード大学で講師をした後、母校ケンブリッジの教授となりました。ジョン・エデンサー・リトルウッドと交友があり、彼とは生涯にわたって共同研究を続けました。作中で、ハーディはラマヌジャンがフェローとして認められるように、学会で演説をします(下記一部抜粋)。

“We do not invent these formulae; and they already exist and lie in wait for only the very brightest minds like Ramanujan; ever to divine and prove”

(公式は創るものではなく既に存在し、ラマヌジャンのような類まれな知性が発見し証明するのを待っているのだ)

 ハーディは、次々と公式を生み出すラマヌジャンに、どのように着想を得ているのかを問います。そしたらラマヌジャンは次のように答えます。「夢の中で女神ナマギーリが着想を与えてくれるのだ」と。

ラマヌジャンの定理

 ラマヌジャンは、短い生涯の中で、数々の定理を創造しました。1976年には、ラマヌジャンの最後の研究を記したノートが見つかっています。彼の理論は、ブラックホールの研究に役立っており、現代の数学者たちに影響を与え続けています。

ダチョウ<br>先生
ダチョウ
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Every positive integer is one of Ramanujan’s personal friends. by Littlewood

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